兵庫県議会議員 くりやま雅史
ホームプロフィール議会活動政策理念活動レポートインターンシップご意見

Special2006年11月09日「くりやま雅史と語ろう」第3弾

「くりやま雅史が訊く!語る!」第3弾
ゲスト:山口昭彦氏(芸術文化センター ・事業部課長、西北活性化連絡協議会役員)


前段〜両者の出会い

栗山議員(以下栗山) 今日は宜しくお願いします。
山口課長(以下山口) 栗山さんと初めてお会いしてから、どれぐらいになりますか?
栗山 そうですね。1年前くらいですかね。
山口 確か、現在の「TGスクエア協議会」でしたね。その会議でお会いして、ものすごく若い議員だと思ったんです。(駅頭などで見かけた)あの若い方やと思って、すごい爽やかさを感じました。あれからもう1年ですね。
栗山 はい(苦笑)。あの頃は(芸文センター横の)高松公園をどういう風に活用するかということで話をしていましたけれど、今はもう、今回の対談項目の中にも出てきますけれど、西北全体の活性化について話し合うようになりましたね。
今回の対談では5つ項目がありますけれども、その項目に沿ってお話をさせて頂きたいと思います。よろしくお願いします。

1 震災復興のシンボルである芸術文化センターが西宮北口の街に与えるものについて

栗山 まず、芸術文化センターは“震災復興のシンボル”ということで設立されたという趣旨があると聞いておりますけれど、この辺りのことについて教えて頂けますでしょうか。
山口 ちょうど震災の時、僕は県庁の生活文化部にいました。普段(平和なときは)文化行政をやっていますが、非常時には災害対策本部に変わるのです。生活文化部では当時、「芸文センター構想」をやっていましたが、もう実現は不可能だと思いました。
自分が生まれ育った神戸の街が(兵庫区で育ったんですが)、あれだけ壊滅的な打撃を受けている。まずは復興を考えなくてはならない。おそらく今後予算の確保はできないと思っていました。でも本当に奇跡的にこの構想は蘇り、昨年10月に西宮にオープンできました。
芸文センターが担うべき役割は、今、栗山さんが言われたように“震災復興のシンボル”です。
僕は神戸出身ですけど、1995年の冬、“ルミナリエの最初の光”が灯された瞬間、感動の涙で胸がいっぱいになりました。あの時、ルミナリエのおかげで震災の苦しみを忘れ神戸の街が勇気づけられた、元気になったと感じました。
あれから10年、西宮に芸文センターがオープンしました。神戸と同じく、震災の被害が激しかったこの街で、芸文センターが(ルミナリエのように)勇気や元気を与える役目を担わないといけないと感じています。そして、オープン以来、栗山さんや地元の皆さんと色々なイベントをやってきて、少しずつ地元の皆さんが芸文センターを身近に感じてくれているようですし、そういう役目が担えつつあるのかなと思っています。
栗山 西宮北口周辺を見渡しておりますと、街は再開発や区画整理されたおかげで非常にきれいな街並みになりました。今や震災から11年が経つのですが、あの頃の被害を受けた陰はもう全くないくらい、非常にきれいな街に生まれ変わりました。
お話にありましたルミナリエのように、光が心に安らぎや豊かさを与えるといったものを、芸文センターでその役目を担って欲しいというのはまさに私もそう思いました。しかし、今や震災で傷ついた心を癒すという意味合いから、状況は少し変わってきたのかなあとも感じています。つまり芸文センターは、この阪神間で非常に集客力のあるセンターとなった訳で、本来の芸術、文化的な豊かさを享受したいと思う市民の方々が多くいらっしゃるように思えています。
話は変わりますが、この間の10月22日に1周年記念イベントを実施致しましたけれども、この西宮北口エリアを始めとして、西宮市全体あるいは兵庫県全体に対して、今後どのような役目を果たされていくのかということについて、また併せて本来の芸術、文化的豊かさを多くに人に提供していくことについて、どのように思われているのでしょうか。
山口 そうですね。ルミナリエも鎮魂からスタートして、今は(鎮魂とともに)新たな未来志向になっています。芸文センターもやはり未来志向で「音楽やお芝居が果たすべき役割」を、今後より一層目指すべきだと思っています。
芸術監督の佐渡裕さんが、「芸文センターを街の広場に」と、ずっと言っています。ある特定の人達だけがお芝居やコンサートを聴くのではなく、みんなに親しんでいただきたいという思いです。
高松公園に天気のいい日に行くと、若いお母さんがベビーカーを引いて散歩している。その子供さんが大人になったとき「お母さんの温かい愛情の中で散歩した公園」が、実は芸文センターだった、そういう風に感じてもらいたいですし(僕自身もお芝居やコンサートを見ると感動して涙が出たりしますから)芸文センターがそんな喜びを伝えていく、それが未来に向けての役目だと思っています。

2 芸術文化センターと地域との結び付きと連携について

栗山 素晴らしいことですね。次に、「芸文センターと地域との結び付きと連携」ということについてお話したいと思います。
最近では私も含めた地元の皆さんと、「西北活性化連絡協議会」という組織を立ち上げ、本格的には今年の4月くらいからいろいろ協力してイベントをやってきました。7月のオペラ“蝶々夫人”を絡めたイベント、そしてこの間のオープン1周年で実施した“にしきた音楽祭”、またさらには12月の“にしきたクリスマス”、これは毎週いろいろなイベントが目白押しなんですが、大変楽しみですね。
さて、これまでの間、私は山口課長とお関わりを持たせて頂いているわけですが、山口課長は地域との結びつきについてですね、非常に重要だと考えて頂いていて、また行動して頂いています。山口課長さんをはじめ、芸文センターの皆様にご協力頂いて、一緒になって地域イベントをやって頂いているということを、私は嬉しいと思うどころか、とても感謝しています。やはり県立という大きな存在、行政というのは、時としてデーンと大きく構えてしまって、なかなか地域の皆さんと歩調を同じくして進めていくということをしない、なかなか難しいのではないかという先入観があった訳ですけれども、その思いとは逆に、地に足のついたやり方といいますか、民間のようにフットワークが軽いなと思いまして、その点非常に高く評価できるなあと個人的に思っています。
今後、西北活性化連絡協議会も含めた様々な団体等、地域と結びつきながら、地域活性化、或いは賑わいを演出していって欲しいと願うのですけれども、新たな展開という意味ではどのようにお考えでしょうか。
山口 1つは、“にしきた音楽祭”の中で「ストリート・ミュージシャン・コンテスト」を企画しています。ちょうど今参加者を募集しています。いつも高松公園の前を通ると、なかなかオシャレなストリートがいます。ダンスをしたりバイオリンを弾くストリートがいたりと、もしかしたら芸文センターを身近に感じているのかもしれない。それならば、地元の人たちと、街のアーティストを育てていきたいなあと。このコンテストは予選と本選でグランプリを決定し、特典としてCDをリリースしたり、西北活性化連絡協議会のイベントに優先的に出て頂いたりとかも考えています。大げさに言えば、協議会や栗山さん、みんなの力で明日のスターを作っていく・・・そんなことができたらいいと思います。僕は、前の仕事で淡路夢舞台(ウエスティン・ホテル&国際会議場)のオープニングを担当したのですが、ホテルも芸文センターも“夢を売る仕事”です。是非とも成功させたいと思っています。
栗山 なるほど、明日のスターをこの街から誕生させるというのは非常におもしろいですね。
山口 10月22日の「にしきた音楽祭」でサーシャさんというバヤン(ボタン式アコーディオン)奏者が出演されました。畑先生が言われましたが、ウィーンでストリートをやっていたのが、今やホセ・カレーラス(世界3大テノール)と共演するまでになったわけです。もちろん実力や運もあったでしょうが、頑張ればスターになれるかもしれない。夢を持ち続ける、そういう形で街のアーティストを育てていきたいですね。

3 芸術文化センターの発展の方向性について

栗山 なるほど、分かりました。少し話は変わるのですが、宝塚市では“宝塚音楽回廊”という企画が進んでいますね。市内50ヶ所くらいで、ジャズとかいろんな音楽が聞けるという企画で、その出演団体数も結構多いのにビックリしました。こういう企画を西宮でやるならば、やはり芸文センターさんが中心的な役割を担っていかれるべきではないかなと思うのですよね。具体的に言うと、例えば酒蔵通りの蔵を使ってジャズコンサートをやるとか、またその通り、ジャズストリートを作っていくとかですね。そういう風な構想はこないだの「にしきた音楽祭」に出演された演者さんからも聞きました。
また他に気になっていることとして、JR西ノ宮から芸文センターっていうのはわりと距離がありますけれども、あまり芸文センターと繋がっていないような空気がありますよね。そこをどういう風に結びつけていくか、そのようなことも新たに考えていくべきかなあとも思っています。この場合ならば、ひょっとすると西北活性化連絡協議会で考えていかなければならないのかも知れませんけどね。でも、様々な市、地域で町おこし的なイベントがありますが、西北エリアもやはり負けないよう、いやむしろ芸文センターがあるくらいですから、「ここが1番すごい!」と言われるようなものにしなければならないと、私は思っていますけれども、山口課長はその辺はどうでしょうか。
山口 “にしきたの独自性”を出していかなければならないと思いますね。ある新聞社の記者から「クラシックや演劇専門の芸文センターが、地元と組んでストリートのコンテストを開催するのがおもしろい」と興味を持って頂きました。それは何故か? 国内には芸文センターのような大型劇場がいくつもありますが(西北のように)、地域と真のパートナーシップを組むことができない。なぜかというと、都市部ではコミュ二ティーが希薄で(組みたくても)組めないらしいのです。
芸文センターは震災を乗り越えた“特別な劇場”ですから、“世界や日本中のどこにもない劇場”でないと駄目です。ですから、地元とどう組んでいくかを真剣に考えています。

4 芸術文化センターで働く職員や楽団員の思いについて

栗山 なるほど、ありがとうございました。次に4つ目の項目なのですが、芸文センターには多くの職員さん、それからいろいろな業者さん、楽団員の方もいらっしゃいますし、いろいろな演者さんも来られます。演者さんは、いろいろな所で公演をやられるわけですから、ちょっとまた別にしまして、特に職員さん、業者さんがどのような思いをもって芸文センターで働いておられるか、その辺りの内情のことを聞かせて頂きたいと思います。
山口 話がそれますが、「アジアンタム・ブルー」という本があります。阿部寛さん主演で11月から全国でロードショーされます。最愛の恋人を癌で亡くし、その悲しみから立ち直っていくというストーリーです。
中学生の頃「智恵子抄」という高村光太郎さんの作品を授業で習い、ものすごく感激して本を買って読んだら、実は高村光太郎は、他の作品でも同じようなことを書いている。
その時に思ったのは、たぶん人間は70年か80年の短い人生で“そんなにたくさんの事はできない”。たった一人の最愛の女性に出会うとか、何か1つ感動できる出会いや仕事があれば幸せなんだと思います。
話を戻すと、僕は、地元と芸文センターが一緒に活動することが必要だと考えてきましたが、それも相手(地元)があってのことです。
ですから色々なイベントが成功するたび(栗山さんや協議会のメンバーに)感謝の気持ちでいっぱいです。地元と芸文が“相思相愛”になれたことに心から感謝しています。
僕は“こういう思い”をいつもスタッフに話し、スタッフも同じ思いを持ってくれています。自分が今、この街の人たち・・栗山さんや協議会のメンバーと出会い、そして“宝物のようなスタッフ“に出会えたことは一番の幸せです。アジアンタム・ブルーや智恵子抄のように、生涯かけても出会えないような“仲間”と知り合えたことに感謝しています。
栗山 芸文センターは本当に大きな立派な劇場でありますし、そこに勤める職員さんにはある意味プライドと誇りを持って働いてもらいたい、という思いが私には少なからずあります。大きなホールは全国各地にいろいろありますけれども、芸文センターの職員は他とは違うのだと思ってもらいたいですね。つまり震災復興のシンボルであるということを意識した上で、地域との関わりができている新しいスタイルの芸術ホールであるということを誇りに思ってもらいたいです。
また、楽団員さんは佐渡さんが全世界各地からオーディションされて、お選びになられたのでしたよね。そういった方々は今オーケストラの中にいらっしゃって、西宮という所で働かれて、どのように感じておられるのでしょうか。また、どのように生活をされて、仕事をされておられるのでしょうか。ご存知でしたら教えて欲しいです。
山口 楽団員は宝塚の楽団員住宅に住んでいて、毎日電車で通っています。平均年齢は27歳、栗山さんと近い世代ですね。彼らは3年間という期限があるので、ずっといるわけではないのです。だから、彼らは佐渡さんの元で一生懸命勉強して、地元とも交流して、やがては世界をめざして羽ばたいていく。その時、彼らはアーティストとしての第1歩を記したのが西宮で、芸文センターであることを忘れないでしょう。
栗山 なるほど、楽団員さんも当然腕を磨くということが第一にあるのでしょうけれども、やはり縁があって、西宮という地で演奏して頂いているというのは、私自身すごくうれしいことだなと思います。楽団員のみなさん方にも、ぜひこの西宮を愛してもらいたいと思いますね。

5 西宮北口で活動している市議会議員 栗山雅史に対する期待と要望について

栗山 私は地元西宮北口で市議会議員として活動をさせていただいております。芸文センターさん同様、私もこの西北活性化連絡協議会という舞台の中で、いろいろとお仕事をさせてもらっていますが、この芸文センターがなかったら、または地域の皆さんとの繋がりがなかったら、おそらくこんな活動はできなかっただろうし、街の賑わいとか活性化だとかということについて、議員として口では簡単に言えても、自分の体を使って具体的に出来ることはなかっただろうなと思うのです。私はまだ議員生活3年半でまだまだ見習いだと思っているのですが、これから私もいろいろな活動をやっていく上で、逆に私に足りないところを山口課長からご指摘頂ければと思います。また、自分でも最近感じていることなのですが、ご要望を言って頂いたり、私に期待をかけて頂いたりということが、結果として自分を成長させているなあと実感するんです。ですので、思われることがあれば是非おっしゃってください。芸術文化センターの制作課長である山口さんとしてでも、或いはプライベートな山口さんからでも結構ですので、私に対する期待、ご意見等がございましたら、聞かせてもらいたいです。
山口 佐渡さんは世界的な指揮者ですが、その佐渡さんの「芸文センターを街の広場に」という言葉が大好きです。
1年ぐらい前、栗山さんとお会いして思ったのは、お若いせいかもしれないですが、一緒に協議会のイベントをやって(政治家というより)ものすごく熱い思いを持った青年という印象が強いのです。
栗山さんには大学生のインターン生がおられますね。実は栗山さんのホームページをよく覗いていますが(笑)、インターン生が本当に“栗山さんの生き方”に感動している。受験戦争をくぐり抜け、人生の進路で悩んだりしたときに、栗山さんの生き方を見て感動しているのがインターン日記から伝わってきます。
芸文のスタッフは「音楽やお芝居」を通じて、地域への貢献をめざしています。栗山さんは、政治を身近なものに変える力を持っておられる。しかも大学生くらいの目線で、純粋に熱く考える人だと思うので、今のままの栗山さんで、あと10年・20年と、政治家として頑張って欲しいと思います。「栗山さんを通して世の中を考える」、そうすれば市民の方がついてくるだろうし、これからもそうあって欲しい。いつまでも“感動を与える青年議員”であって欲しいです!!
栗山 私はそんなすごい人間では全然ないですよ。しかし、時々思うのですが、年齢や職種や立場を問わず、いろんな人とお話をすればするほど、やはり政治家というのは、政策を持って市民を牽引していかなければならないとヒシヒシと感じるのです。どんな人でも政治に対して“変革”を求めますからね。
政策は、そもそも議員が独断で作っていくわけではなく、住んでいる人間が自分達の生活がより良くになるために声を出して作っていくんです。その為には、やはりみなさんの声に耳を傾けるということが1番大事だろうと私は思っています。
ですが、政治家という立場では、相反するような要望を受けてもバランスを上手く取って、自分が振舞うべき行動はどうあるべきなのかということを、常に考えなければならないと思います。また自分の行動は市民のためになっているのか、そして十分に行動出来ているかということを、常に考えています。
今日もこのような対談をさせて頂いて、非常に貴重なご意見を頂きました。山口課長には、今後も特に芸術文化の分野におけるご意見を中心的に頂きたいですし、そこから繋がっていく政治についてのご指摘、ご意見を頂ければと思います。
本日はどうもありがとうございました。
山口 ありがとうございました。

前兵庫県議会議員 くりやま雅史 - Special/2006年11月09日「くりやま雅史と語ろう」第3弾

| ホーム | プロフィール | 議会活動 | 政策理念 | 活動レポート | インターンシップ | ご意見 |

事務所:〒663-8105 西宮市中島町11-20
TEL : 0798-69-0051 FAX : 0798-65-7670 E-mail : kuri@kurix.jp
当ホームページが提供する情報・画像を、権利者の許可なく複製、転用、販売することを固く禁じます。
Copyright(C) Masashi Kuriyama All Rights Reserved.