偶然通りがかったあの事件。マンハッタン南部へ足を伸ばしたその時、あの惨劇に遭遇した。
足元には資料が山積みになって散乱しており、その中には日系企業のものもあった。最初は「テロ」だと知らず、前代未聞の高層ビル火災だと思った。野次馬的ではあるが、恐る恐るビルの方へ近づいた。熱さに耐えかねたのか、ビルから沢山の人が身を空へ投げ出していた。目も当てられない事実が自分の前で起きていた。咄嗟に手元のビデオでその惨劇をおさめ始めたその時、サウスタワー崩壊。ほうほうの体で逃げ、何とか命は助かった。身体は粉塵で真っ白になった。
その事件以来、「平和」というものの大切さについて真剣に考えるようになった。
町内会のソフトボール部に入部し、ある日突然監督から「ピッチャーをやれ」と言われた。ただ背が高かったからだろうか。不安を感じつつ投げてみると、形はなっていないが、球は速かった。ただし球はキャッチャーミットには入っていなかった。
そのノーコンぶりを見たオヤジは、スパルタ教育を自分に強いた。涙を流しながらの毎朝100球の投げ込み、家の中ではトレーニングメニューが決まっており、毎日が筋肉痛。オヤジのヒザも青あざだらけだった。そんな日が2年続いた。
卒業の頃にはちゃんと良い球が投げられていた。大会では準優勝するまでになった。勉強での努力は知らなかったが、「努力すれば何でも上達する」ということを体で知った。
「良い大学に入れば、良い就職ができ、幸せな生活が送れるんだよ。」小さい頃両親から受けた教えである。自分の意志を持たないまま、親のすすめで入った学習塾。中学・高校は「大学に入るため」だけの学習に終始した。周囲を見渡しても、必死に勉強をする同級生がいる。将来の職業像なんて考えることもなく大学に入学した。
大学3年の冬。企業側からの就職活動スタート!という号令がかけられた。大半の学生は「何処へ行けばいいんだろうか?」「どんな仕事がしたいかわからない」と言う。私もその中の一人だった。
「良い会社」の意味、そして「職業人としての生き方」については、殆ど教育らしいものがなかったように思う。「良い会社」と言われる会社に入った同級生が今、その会社が破綻してこう嘆く。「こんなハズじゃなかった」と。
詰め込み教育に慣れた私たちの世代は「創造」ができる世代なのだろうか。これからの教育を何とかしなければと思った。
| ホーム | プロフィール | 議会活動 | 政策理念 | 活動レポート | インターンシップ | ご意見 |
事務所:〒663-8105 西宮市中島町11-20
TEL : 0798-69-0051 FAX : 0798-65-7670 E-mail : kuri@kurix.jp
当ホームページが提供する情報・画像を、権利者の許可なく複製、転用、販売することを固く禁じます。
Copyright(C) Masashi Kuriyama All Rights Reserved.