兵庫県議会議員 くりやま雅史
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議会活動一般質問2006年6月26日 一般質問内容

2006年6月26日 一般質問内容


一般質問1 
「コンパクトシティを目指して」

【口述内容】
 まず1点目は「コンパクトシティを目指して」と題しましての質問です。
 我が国の社会は、いま転換期を迎えようとしています。少子高齢化社会の到来、全国的な人口の減少、地球環境問題に対する自然環境の保全と再生、そして都市の中心部の衰退。これらをテーマに、本市も広い意味で、これからの都市計画を進めなければならないと思います。

 このコンパクトシティ構想は、新しい都市のあり方を示しているとして、我が国でも近年大きな関心と共感が示されています。しかし、政府の戦略となっていないこともあり、一部の自治体レベルの計画にとどまっています。
 97年、神戸市の市政方針の中で、コンパクトシティという概念が初めて公式に用いられました。「コンパクトシティ−持続可能な神戸のまちづくりのために」をテーマとするシンポジウム(98年10月)で、当時の笹山市長は「まちの小単位、最小単位をうまくつくっていくのが将来のまちづくりの解決策ではないか。是非このコンパクトシティ構想を進めていきたい」と発言しています。
 神戸市のコンパクトシティ構想は、180万人の人口を目標とする成長管理と市民参加、地域重視を基調とし、「コンパクトタウン」と呼ぶ生活圏の集合体・ネットワークをつくりあげることとしています。
 コンパクトシティ構想を掲げている自治体は、現在のところ、神戸市の他、人口減少が進む巨大都市、小さい面積の町、雪国の都市、衰退傾向にある都市、路面電車がある都市などがあります。
 それではコンパクトシティというのはどういう意味か、確認します。それは、「持続可能な都市発展の基礎づくりを進めると共に、個性豊かでふれあいに満ちた、自立的な生活圏が相互に連携し、多重にネットワークする都市づくりを、市民・事業者と市との協働のまちづくりによって進めるものである。」と表現されています。と同時に、将来の人口推計などをもとに、地域に必要な都市機能・空間は何かということを想定しながら、現段階からの“秩序ある退却”をも視野に入れて、都市計画していくことだと思います。
 また、環境保全の観点から、地球に生きる全ての生命体及び地球の持続可能性を高めるために、これまでの「成長と拡大の都市化社会」から、「持続可能な成熟した都市型社会」に移行しなければならないと思います。

 ここで質問します。都市空間は、常に歴史の産物であり、明日の都市空間は、昨日から今日までの積み重ねの上に継承されていきます。我々は日々、西宮の都市空間を造り上げ、そして次世代へと継承していく歴史の当事者となっているのです。我々は次世代へ残す優良な資産を守りつつ、持続可能な社会の実現を標榜するべきだと思います。
 わが国は成熟社会を迎えています。成熟社会とは人口および物質消費の成長はあきらめても、生活の質については成長させることをあきらめず、物質文明が高い水準にあって、多様性と個性、歴史性と文化、貨幣的な価値よりも人間的な価値が大事にされる社会であります。そんな中で環境保護的、かついくつかの機能集約的な都市空間を指向し、コンパクトタウンの確立とそれらの連携を目指すべきであると思いますが、本市の都市空間づくりの方向性及び概念について、総合計画及び都市計画マスタープラン等と比較し、相違点があるのか、本市の目指すべき方向性はどうなのか、聞かせて頂きたいと思います。また、策定準備中の第4次総合計画ではどのように考えていかれるのか。合わせてお聞きします。

【総合企画局長 答弁】
 1番目の「コンパクトシティを目指して」についてお答えいたします。
 コンパクトシティとは、一般的には、徒歩による移動性を重視し、様々な機能が比較的小さなエリアに集まった都市形態を言い、「持続可能なまちづくり」や「都市機能の効率化」、さらには「地域の活性化」という考え方を背景とするものと認識しております。
 本市のまちづくりは、地域の特性を生かしつつ、都市核、地域核、都市軸を設定し、都市の骨組みや土地利用の方向を明確にするとともに、各地域が相互に連携、補完し合いながら、市域全体として均衡のとれた魅力ある都市空間の形成を行うという方針の下に行っているところであります。
 したがいまして、市域全体で都市機能の充実を図るという点で、いわゆるコンパクトシティの考え方とは基本的に異なるのではないかと考えております。
 しかしながら、第3次総合計画や都市計画マスタープランにおきましても、「地域別整備方針」や「市民参加の推進」による参加と協働のまちづくり、環境に負荷をかけない「循環型社会への転換」による環境への配慮などが盛り込まれており、これらはコンパクトシティの考え方とも共通する点ではないかと思います。
 いずれにいたしましても、次期総合計画の策定にあたり、本市の将来像を展望するに際しては、このコンパクトシティの考え方も含め、様々な視点からの検討が必要であると考えております。

一般質問2 
「道徳教育について」

【口述内容】
 次に、2つ目の道徳教育について、質問致します。
 かつて、子供の知的世界において、「学校」という存在の位置づけは、きわめて大きいものでした。戦前はもちろん、戦後も、ある時期までは、「知識はやはり学校へ行かないと得られない」という時代でしたが、ところが今は学校へ行かなくても、インターネット等で調べれば、たいていのことはすぐに情報が得られてしまう時代です。また、あちらこちらに、いわゆる学習塾などが数多くあります。「知識」という点に関する限り、子供にとって学校教育の持つ意味は、どうしても以前より薄れてきているのではないかと思います。もしそうだとすれば、現代の学校の存在意義については、どのようなところに見出せば良いのでしょうか。私は、学校の存在意義というものは、学校というコミュニティの中でしか育めない人間性、道徳性など、つまり人格形成に関わることにあるのではないかと思います。

 家庭での教育も当然必要なことですが、学校教育における道徳教育のあり方について、私はこの時代にこそ、もう一度確認しなければならないのではないかと思いました。教育の基本である「道徳教育」を、常に意識し、授業をしていただくために、今回一般質問として取り上げさせていただきました。

 その前に、教育とは何か、ということを確認したいと思います。現在、国会で改正教育基本法について議論されておりますが、それはひとまずおきまして、現行の教育基本法の第1条にはこう書いてあります。
 「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」

 これは教育の目的が、豊かな道徳性を身に付けた人格の形成にあることを示したものであります。この点から見ましても、学校における教育は、すべて人格の形成、つまり道徳教育につながると言えます。各教科・特別活動などでの知識や技能の教育は、最終的に道徳性と結びついたものでなければならない。その点、教師の皆さんは、どの程度このようなことを意識されながら教育されておられるでしょうか。これを第1点目の質問と致します。

 道徳とは、基本的には、個人の内面にある社会的行為の規範であります。道徳は、社会的に議決して決めたり、契約時に履行したりするものではありません。道徳の根源は個人の内面にあります。一人一人の内面の良心が強く意識されることこそが、道徳的課題ではないでしょうか。そしてその結果、人間としてすぐれた存在になり、有徳な人間の形成へとつながっていくのです。
 人間の本質(人間性)が何であるかは、古来からさまざまに定義されていますが、近代ではそれを理性に基づく自立(自律)能力が備わっているかということで判断されているように思います。つまり自己の内部に実践理性を持ち、その内なる理性で、内なる感情や欲望をコントロールできる存在こそが人間であり、自主的・自立的に適切な道徳的判断が下せる存在となることが、人間性の完成となり、そして人間は社会的存在である以上、他者に対する「思いやり」や「慎み深さ」、「謙虚さ」などを身に付けているべきであると思います。

 さて、道徳教育は、児童・生徒の、すべての生活の場面で行われるものであり、学校だけで完結する教育活動ではありません。家庭や地域社会の中でも当然行われるべきであり、そのような教育をこれまでも実践されてこられたと思います。
 しかし、学校における道徳教育は、学習指導要領によりますと、小学校、中学校の場合、週に1時間、年間で35時間と聞いています。教育の「かなめ」であるこの道徳教育が、このような時間数というのは個人的には少ないように感じております。そして、その結果懸念されるのは、この時間数の少ないことを理由に、教師が道徳教育に多くの意識を持たなくなっているのではないかということであります。しかし私は、他の教科を教えている中でも、道徳の概念が盛り込まれていると信じていますし、昨今では総合的な学習の時間でも道徳教育が盛り込まれていると聞いています。そこで2点目の質問を致します。
 学校での「道徳教育」の取組みについて、教育委員会はどのように考えておられるのか。答弁者の具体的な実践例も含めて答弁をお願い致したいと思います。

【白土教育次長 答弁】
 道徳教育についてお答えします。
 小中学校における道徳教育は、児童生徒の「道徳性の育成」を目標として、学習指導要領にのっとり計画的に行っております。
 この目標を達成するための中心的な時間として、「道徳の時間」が設けられ、そこでは、人権教育副読本「ほほえみ」・「きらめき」、「心のノート」、新聞記事、児童生徒の作文、ビデオなどの教材を活用しています。
 また、参加型学習や体験活動なども取り入れ、児童生徒のよりよく生きる力を引き出し、社会への豊かなかかわりを通して「人格の完成」を目指しています。
 しかし、道徳教育の目標を達成していくものは、「道徳の時間」だけではありません。「道徳の時間」は、様々な教育活動において行われる道徳教育を、調和的に補充・深化・統合する時間という位置づけのものであり、学校においては、各教科、特別活動、総合的な学習の時間などを通して、その目標達成に向けた取り組みを実践しております。
 さらに、道徳性を支えるものとして、道徳的心情、判断力、実践意欲と態度などがあり、これらを児童生徒に身につけさせるために取り扱う内容として、

1 自分自身に関すること
2 他の人とのかかわりに関すること
3 自然や崇高なものとのかかわりに関すること
4 集団や社会とのかかわりに関すること などがあります。

 教育委員会としましては、校内研修会や道徳教育担当者会での指導・助言や資料提供などを通して、その位置づけや指導方法についての充実を図っております。
 最後に、具体的な実践例に少しふれさせていただきます。
 本年度、「西宮教育推進の方向」の「道徳教育」の重点には、「日々の授業や生活を通して、『豊かな心』をはぐくむ」とあります。この、「『豊かな心』をはぐくむ」。すなわち、道徳性を培うためには、学校生活、家庭生活、そして地域での生活など、あらゆる場面で共通した、毎日の活動を通して、人と人との豊かな触れ合いを高めていくことが大切であります。
 この具体的な取り組みとして、私は、子どもたちに気持ち良い挨拶を強調してきました。
 挨拶は人と人とのコミュニケーションづくりの基本だと思います。「おはようございます」、「ただいま」、「いただきます」などの言葉は家庭の雰囲気を和らげ、家庭の絆を作る基盤となり、学校では子ども同士や先生と子どもたちとの人間関係づくりの第一歩になると考えます。
 また、地域で顔見知りの人に出会ったとき、「こんにちは」の一言も人の心を温かくします。とりわけ子どもたちに指導してきたのが、「ありがとう」という感謝の言葉です。「自分さえ良ければ」の風潮が強まってきている今、日々の、人と人との心のキャッチボールである挨拶を大切にしたいものです。
 このように、毎日の生活を通して、学校、家庭そして地域で何か一つでも共通した意識し、子どもたちに徹底させることが大切だと考えています。
 今後とも、「道徳の時間」だけではなく、すべての教育活動を通して、児童生徒一人ひとりの「人格の完成」を目指し、家庭や地域と連携した取り組みを推進して参ります。

一般質問3 
「医療サービスの質の維持・向上のために」

【口述内容】
 中央病院の提供する医療サービスの質の維持・向上のために、として質問させて頂きます。
 今回のこの質問は、私が普段、議員として活動している間に、様々な出来事、状況変化などがありまして、そしてそれらについて調査をした上で、「中央病院の医療サービスの質が下がる危険性がある」との判断に至りましたので、一般質問として取り上げさせて頂きました。

 現在、中央病院は第2次経営健全化計画を遂行中であります。第1次で達成できなかった不良債務の解消を、この第2次計画で何としてでも達成するとの強い意志の下で、この4月からスタートしている訳ですが、では最初にお聞きします。
 第2次計画の月次目標と、この4、5月の状況を比較して、月次目標は達成されているのか、どうか。また差があれば、どのぐらいの差があるか?また今年度の見通しはどうなのか?お答え下さい。

 では本題の医療サービスの質について質問します。医療サービスを施す主体であるのは、ご存じのように患者と接する最前線にいる医師であり、また看護士の医療技術であると思います。それには異論はないと思います。それを前提とするならば、その医師や看護士自身の心身に問題や支障があれば、当然良質な医療サービスを提供することが難しくなります。

 先日、院長及び事務局長のご協力により、中央病院の医師3名にお話を窺うことができました。当初、私は議員である私を医師たちが警戒し、本音を言ってくれないのではないかと懸念しておりましたが、そんな思惑とは逆に、お会いした医師たちからは、医師の職場環境の悪さ、そして労働条件の過酷さを訴えられることになりました。

 3名の医師のうち、ある内科医さんからは、「これは内科8名の医師の総意として申し上げます」と言われ、勤労条件の過酷さをこのように語りました。
 まず夜間当直の回数が以前の2回から倍の4回になっている。しかも若手医師が少ないため、体力的にキツイ40代、50代の医師でも当直をこなさなくてはならない。他には、8時30分から外来を受け始めて、18時までずっと外来を受ける。その間、救急車が来ることもある。夜中には各種委員会など、会議が増えており、そんな中でも紹介状を書いたり、カルテを書いたりなど、書類作成業務も多くなり、帰る時間は深夜になることが多い。当然定時の17時15分になんて帰れやしない。
 そして私が、「そんな状態で、ご家族のお顔をご覧になれていますか?」と聞くと、「そりゃ見ますけど、週に1度休めるのが精一杯で、その日は1日眠ってしまってますからねえ。それぐらい疲れが溜まるのですよ。」と言われました。
 もちろん、このような状況では研究活動なんて全然できないそうです。民間病院に比べて、給料が低い公立病院の医師のモチベーション維持は、研究する時間とその施設がある、ということで何とかバランスを取れている、とか聞いたことがありますが、そのような時間さえ中央病院にはないのです。
 その内科医さんはこうもおっしゃいました。
 「我々はとにかく患者さんに対する使命感と責任感で、心身共に辛いが、ギリギリしのいでいるという状態だ。そんな状態でみんな頑張っている。」
 そんな中、今年度初めには内科医がまた1名お辞めになって、病院におられる医師の負担がますます増えています。そして今後の医師補充についてもメドがついていないと聞きます。そうなると、お話を聞いたようなギリギリの心身の状態で、医師たちに医療サービスを行わせなければならない、そんな状態が今後も続くことになるのです。これで医師たちが倒れたり、お辞めになったりしたら、病院経営は成り立つのでしょうか?いやその前に、患者である市民などに、良質な医療サービスを継続して提供できるでしょうか?医師不足による過労が原因で、医療事故を引き起こすような状況を作り出しているなら問題です。

 医師の確保については、スーパーローテーションの影響もあり、どこの公立病院も難しい状況であると聞きます。しかしながら、本市が公立としての中央病院を存続させ、地域医療の核病院としてやっていくという意志を表明されているのですから、どんな状態であろうと、良質な医療サービスを提供するためには適正な医師数を確保せねばなりません。そのためには、横並び状態から一歩抜け出るために、地方のある公立病院が高額の給料で医師を確保したように、医師に支払う給与等の額を見直しするなどして、新しい医師を確保する必要が場合によってはあるかも知れません。そうすることによって、現在必死に働いている医師の職場環境改善、労働条件の過酷さの改善へとつながり、医師にとっても、患者にとっても魅力ある病院となれるのではないかと思います。

 病院経営をするにあたり、医師という素晴らしい素材がまずあってこそ、経営が成り立つのではないでしょうか?そして選ばれる病院になって初めて、経営健全化が達成できるのではないでしょうか?

 以上のようなことからご質問いたします。現在の医師の勤務状態についてどのようにお感じでしょうか?また、医療サービスの質の維持・向上のために、医師の体制・処遇の改善をするということは考えられないか?

【中央病院事務局長 答弁】
 3番目の「医療サービスの質の維持・向上のために」のご質問にお答えします。
 1点目の、第2次健全化計画の初年度の目標と比べ4月・5月の状況はどうかとのお尋ねについてですが、まず、平成17年度においては、計画では約2億54百万円の純損失を見込んでおりましたが、決算見込みでは約1億64百万円の純損失に縮減し、単年度で65百万円の不良債務を解消することができました。この結果、17年度末の不良債務残高は約3億3百万円となり、計画と比べて約89百万円の改善となっております。
 次に、初年度の月次目標とに対する本年4月・5月の収益の状況ですが、内科医師の退職や整形外科の影響で、入院収益は計画より33百万円の減少となっておりまして、整形外科の落ち込みはしばらくの間、続くことが見込まれる状況です。
 今後、収益確保に向けて、内視鏡センターや、消火器センター、外来化学療法室などの施設整備を図り、当院の専門性を生かした高度医療の取組みを進めるとともに、内科2次救急の拡充を図ることにしております。また、費用の削減、特に職員給与比率の改善に向けての取組みを進めることにしておりまして、診療報酬のマイナス改定の影響など厳しい経営環境にありますが、初年度計画の収支目標の達成に努力してまいります。
 2点目の、現在の医師の状態、体制・処遇の改善についてですが、医療サービスの提供に当たっては、医師がその中心を担っており、優秀な医師の確保が何よりも必要となります。
 現在、勤務条件の厳しさなどから、産婦人科を代表に全国的に勤務医師が不足し大きな問題となっております。
 当院の医師数は、本年4月1日現在、正規、嘱託医師を含めて合計40名で、2年前の平成16年4月の49名に比較して9名の減となっております。耳鼻咽喉科、産婦人科での原画大きいわけですが、本年度に入りまして、主力診療科である内科においても医師不足の影響が生じております。
 現在の内科医師11名の勤務状況は、週2〜3会の外来診療と担当医として入院患者の診療を受持つほか、月3〜4回程度の当直に従事するというもので、退職した医師の補充に今少しの期間を必要とする状況にあるため、医師1名当たりの当直回数が増加し、業務上の負担が重くなっている現状にございます。
 この改善策としては、特に外来患者数の多い内科としては、地域の医療機関からの「紹介患者」を受け入れて入院患者の増を図る一方、症状が安定した外来患者を地域の医療機関に逆紹介し、外来部門の軽減に努めているところであります。
 医師確保に当たりまして、ご指摘のありました医師の給与等待遇面の改善は、今後の検討課題であると認識しております。あわせまして、研修や症例検討を行う体制を充実するなど、医師が魅力を感じ、スキルアップできる環境整備を図る必要があると考えております。現在、整備を進めている内視鏡センターや消火器センター、また次年度以降に計画しております呼吸器センターや糖尿病センターなど、高度医療の取組みを進めることによりまして、医師にとって魅力ある環境づくりにつながるものと考えております。さらに、医師免許取得後3年から5年の後期研修医の確保においては、報酬等給与面にも十分に配慮して公募を実施するなど、今後とも医師の確保に最大限努め、医療サービスの維持、向上に努めていきたいと考えております。
 以上でございます。

再質問

【口述内容】
 それでは、2点、再質問をさせていただきますので、よろしくお願いします。
 まず、コンパクトシティーについて。これは、市長に質問です。
 市長を初めとするここにいらっしゃる理事者の皆様、そして我々議会人は、目の前の行政諸課題を解決すべく日々努力していくことはもちろんではございますが、しかし、忘れてはならないことがあります。近視眼的な諸課題を解決することの一方で、我々は、1O年後、20年後、50年後の西官のありようを考えておくべき立場であります。いや、むしろ考えなければならない人間だと思うのですが、いかがでしょうか。振り返りますと、昭和31年に西宮市役所に入所されました山田市長、今年で奉職されて50年ということになられるわけですけども、50年前の22歳当時の山田青年はどのような気持ちでこの西宮市を見詰めておられたのでしょうか、それをお答えいただきたいと思います。
 そして、当時と今で変わらないもの、また変わったものなどがあれば教えていただきたいと思いますし、また50年のこの西宮市政を見てこられた山田市長から、今ある西宮の資産で残してほしいものにはどんなものがあるか、教えていただけませんでしょうか。
 次に、医療サービスの質の維持・向上について、これは確認したいことは1点であります。これは院長に質問をしたいと思います。
 現在のような医師の労働環境で市民に対して十分な良質な医療サービスが今後も提供し続けられるかということ、ただ1点確認をさせていただきたいと思います。今後の医師確保への対策などは事務局長から御説明をいただきましたので、再度、医師であられる左近院長に、現在の中央病院の医帥たちの勤務状況についてお聞きしたいと思います。
 以上2点でございます。

【市長 答弁】
 私、昭和31年に西宮市役所に就職をいたしました。そもそも私と西宮との強いかかわりは、ちょうど市内の関西学院大学を受験いたしまして、そして、当時私は大阪に住んでおりまして、その大阪の華々しい町の中からこの甲東園、仁川のすぐれた環境に大変魅せられまして、大学を選んだわけでございます。そういう中で、私は、この西宮は大阪とは全く違った別世界だなということを今も強く印象を持っておりますし、甲山から見ますこの西宮の町は、その昭和31年の風情と本当に変わらないー確かに高層建築物はふえましたけれども、変わらないすばらしい風景というのでしょうか、そういうものが残されているわけでございます。そして、西宮市に就職をいたしまして、何とかこのすばらしい持てる魅力を生かして、そして、どこよりもすばらしいこの西宮の町を築き上げたい、その一員として努力をしたいという思いでやってまいりました。そして50年が過ぎましたけれども、就職した当時は、戦後復興、そして高度経済成長へと日本国民が総力を挙げて経済力を取り戻すための大変な努力をしてまいりました50年だというふうに思っておりますし、我が国は有数の経済大国として今日を迎えているわけでございます。
 そういう中で、人々の価値観であるとか、あるいは意識というものは、大きく変わってきている現実がございます。例えば環境に関しまして申し上げますと、公害問題というのが環境という言葉の代名詞でもあったわけでございますけれども、今では、グローバルな形で環境をとらまえまして、持続可能な社会を築いていくということで、そして、この持てる自然環境を次の世代に残していくということが大きな課題にもなってまいっております。
 また、市民と行政のかかわりを考えてまいりますと、昔から大きくさま変わりを私はしているように思います。行政に物を申すということが市民参加の考え方であったというふうなこともございましたけれども、行政との協働、そして参画という意識の高まりとともに、市民の自立といったことが中心の参画と協働ということがうたわれる、そして、それを実行していくという時代に変わってまいりました。これ以外にも、核家族化がどんどん進んでまいっておりますし、女性の社会進出ということも非常に活発になってまいりましたし、子育てに対する考え方も大変変化が生じてきております。
 このようなさまざまな変化がある一方で、平和や人権というものの大切さということにつきましては、非常に顕著になってまいっておりますし、さらに、人々が自分のふるさとを大切にするという気持ち、その気持ちも今までと変わらず続いているというふうに考えております。そして、この西宮の文教住宅都市としてのあり方は、文教住宅都市宣言、30年代に行ったわけですけども、この意識は今日も変わらず続いておりまして、快適性が高く、利便性の高い、そして、人々が住みたい、住みやすい町としての評価がより一層高まってきているのじゃないかというふうに喜んでおります。
 そういう中で、そういうすばらしい西宮の財産を次の世代へしっかりとつないでいかなければならないということで、これから50年後、100年後の西宮ということに思いをいたしますと、いろいろ予測の範囲でありますし、私の希望でもありますけれども、現在、議会の御協力や、あるいは市民の皆様の大変な努力、環境学習都市に向けました取り組み、IT化の推進、そして参画と協働の町づくりなど、さまざまな事業や施策を進めておりますけども、こうした不断の努力の積み重ねこそ100年後、50年後の西宮の実現につながっていくんじゃないかと考えております。100年後の西宮の姿を思い描きますと、山、川、海、そして、海には子供たちが海水浴する華やかな姿、そういうものが目に浮かんでまいりますし、自然と調和したゆとりのある居住空問がぜひできておればというふうに願っております。そして、市民の皆さんの生活を考えますと、高齢者の方も地域活動にどんどん参加をしていただいて、生き生きとした老後を安心して暮らしていただく、そして、子供たちは元気はつらつに遊び回っている、そこでは学習や文化、スポーツ活動と親しむ心豊かな西宮市が築かれているんじゃないかというふうに想像をいたしております。西宮に住みたいという人が多くありますでしょうし、また、人口減少という我が国の状況はありますけれども、他市から多くの人が訪れてこられまして、にぎわいと活力のある町になっているんじゃないかと思っております。また、この西宮は、個性的な町として全国でも高い評価を受ける日本有数の町になっていると確信をいたしております。
 以上です。

【中央病院長 答弁】
 先ほどの質問は、医師の現状を十分に把握しているのかということかと思いますけれども、実は、毎月、医局会や各診療科の科長が集まる科長会を開催し、医師の待遇を含めたさまざまな問題につきまして、意見交換を行っておりますので、状況につきましては十分把握しております。確かに医師の確保が厳しい現状下、各医師の負担は増加しております。ただ、私自身も医師でございますし、このような状況を把握し、改善できるよう努力することが重要な職務の中の一つと考えております。
 ただ、一言つけ加えますと、このような現況下ではございますけれども、医局会を含めたさまざまな機会を通して、第2次健全化計画で示している本院の戦略が職員に理解され、現在一丸となって計画を実行しているところであります。
 以上でございます。

意見・感想

【口述内容】
 まず、中央病院さんから。
 今、院長から御答弁いただきましたけれども、先ほどこの問3名の医師とお話しさせていただきましたと申し上げましたが、医局会でいろいろ意見は言うてるけれども、そうしたらこれがどこまでどのようにして権限者に伝わって、何か処遇の改善になってるのかということについて言われたんですよ。そうですかと。逆に一丸となってと今おっしゃいましたけれども、こういう議会や、あるいは局長や皆さんとお話をしてますと、表向き、やっぱり頑張りますといろんな前向きな御意見を、方向性を示していだだけるんですけど、現場にいるそういう先生方の意見を聞くと、何かちょっと違うんじゃないかなというふうに雰囲気として感じるんですね。西田議員からも質問させていただいたときに御答弁ありましたけど、今病院としては逆行の状況にあるというのは皆さん御承知やと思います。そんな中でまた医師も減っていく、最終的に市民に対する医療サービスの質が落ちるということであれば、いわぱ味が悪いわ、コストダウンはするわみたいなお店みたいな、そんな感じがするようになってくるから、だからやっぱりいいものを出して選んでもらわないといけませんから、中央病院としてある程度お金をかけなきゃいけないところも、内視鏡等でも今結構いろいろされてますけれども、そういう意味で、売りとなるものをどんどん出しながら、職員の皆さんも毎日働いてて楽しい−楽しいというても、しんどいのもあるけども、やりがいがあるというふうな状況の中で、医師が輝いておられないと診療を受ける側の人間はやっぱりちょっと不安になると思うので、そのあたりのことを重々これからもまた意識されながら、院長、そして事務局長、よろしくお願いしたいと思います。きょうは外来診療があられたにもかかわらず来ていただきまして、ありがとうございました。
 それと、戻りまして、意見、要望を申し上げますが、コンパクトシティーについて。
 コンパクトシティーを目指してというものにつきましては、これちょっと、今まで議会で調べましたら、今まで使われてない言薬でした。ですので、逆にインパクトがあるだろうなと思ってあえて使わせていただいたんですけれども、これは、そもそもは、欧州におきま一して、地球環境問題に対応するために、白動車から排出されるC02を削減するということを大きなねらいとして始まりました。我が国においては、政府や国土交通省かコンバクトで快適な中心市街地の再整備とか大都市のリノベーションを志向するとか言っていますけれども、まだ全国的にはその政策に転換したとは言えない状況であります。
 コンパクトシティーと聞きますと、イメージですが、町をどんどん小さくしていくとか、あるいは不便になっていく、一極集中するというような、そういうようなイメージを持たせますけれども、そのような意味が全くないとは申し上げませんが、私が言いたいのは、これだけ成熟した社会ができてきた以上、そして、将来的に少子化、人口減が見込まれている以上、これまでのように拡大路線ではなく、逆に最小の機能とは一体何か、最小の町づくりは何か、行政が最低限すべきことは何かということも考えながら、まさしく秩序のある退却も視野に入れながら行政していかないといけないんじゃないかなというふうに思うわけです。例えば、先ほど市長にも語っていただきましたが、50年先、今47万人いる西宮ですけれども、何万人になってるかわからないですね。極端な話20万人になったとしたら、これだけの町の規模は要らないのかもしれません。そういうことも考えて、ということはなぜかというと、私今32歳ですから、50年後にひょっとしたら生きてるかもしれないわけで、そのときに議員やってた栗山は何考えててんと言われたときに、答えられないんじゃないかなと。そういうことも考えなきゃいけない立場であると思いますし、やっぱりそういうことも今後は視野に入れていかないと、高度成長はもう終わってますから、緩やかな成長の中で我々が何をしていくべきかということも考えないといけないと私は思っています。
 都市というのは、日々新たなものが加わって、歴史が有形、無形に蓄積をしていくわけですけれども、創造一クリエーションですね。クリエーションは必ず破壊をもたらすわけでして、創造と保存というのをどう調和させるかが難問であるということだと思います。きょう、森池議員の質問でも取り上げられていましたように、景観上のアプローチも必要になってくるかと思います。
 ここで京都のお話を一つ御紹介したいと思います。京都市助役を勤められた内山俊一さんという方ですが、京都の町家はほぼ80年ごとに戦火や地震に遭い、建て直されてきた、ところが、第2次世界大戦の戦災を免れ、幕末の禁門の変以来、140年余りそのままだというふうに指摘しています。それまでの間、結局140年の間、京都にとっては建て直しが長くなかった珍しい時期であったというふうに言われています。今は若干デザイナーなんかが入って建て直しも進んでますけれども、町家は相当の老朽ぶりだったんですけども、古くなったものを補修するというような後ろ向きの姿勢じゃなくて、次また1OO年後にこれが京都の伝統と評価されるような現代の町家様式に今後これから創造する必要がある、つまりクリエイトしていく必要があると思う、そういうことをおっしゃってるわけです。私も思うんですが、木造の伝統というのが生き続ける日本においては、コンクリートづくりになって、大きなマンションができたりしてますけれども、建物は依然としてやっぱり耐久消費財でありまして、新陳代謝は激しいわけで、石やれんがとかでつ<ってきた西洋の都市なんかに比べたら永遠の理想像というのは描きにくい、そういう風土であるということはわかります。しかし、日本の都市が絶えず変貌してきたのは活力の証明でありますし、秩序と混沌、規制と自由のバランスをどうとるかという難問を抱えながら、我々は未来の西宮像を常に描いていかなければならないのだというふうに思っています。
 最後に、道徳教育について申し上げます。
 これは、私自身も考えなければいけないことですし、答えを導いていかねばならないことかもしれませんが、御答弁の中にありました人格の完成、これは教育基本法に書いてあるわけですが、これとか豊かな心とは一体どういう心かとか、言語化しにくいと思うんです。そういうこと自体に疑問を持つことが意味があるのかとかないのか、そういうこともあるかもしれませんが、私が最近感じますのは、おかげさまで夏休み、春休みと大学生のインターンを受け入れさせていただいてて思いますのが、夢を持ってない子が多い。高校卒ですよね、当然大学生になったとことかですから。何をしていいかわからない、受け身の教育であるから、自分の方向性を探すのに本当に大変になってる、自分探しの時問が物すごい大変多くなっているんじゃないかと。それはいいことなんですけれども、ただ、その前に、人格として成長しようということを考えたことあるかと聞いたら、そんなことは全くなかったと。つまり、受験勉強に追われまして、いい大学に入ればいい、いい会杜に入ればいい、こういうふうな発想でもって我々とりあえず頑張ってきたと、そこからさぁ自分の生き方どうしようかというときに、何もまだ準備ができてない、こういうことをよく言われるわけです。そこで、私は、そうしたら何を言えばいいのか。この西宮市の市議会議員をさせていただいてて、小学校、中学校の道徳の教育の中でどういう提起ができるかということも考えさせていただきました。ちょっと難しい言葉になりますけれども、教育は百年の計というふうに言われます。新教育課程の本質とは一体何かという問いに、これは本ですけれども、文部科学省の初中局教科調査官の押谷由夫氏は、一言で言えば、生きる力の育成だ、生きる力の根本は、さまざまな状況に主体的に対応しながら、人間としてどう生きるかをみずからに問いかけ、みずからの生き方を確立することだと言っています。みずからの生き方を確立することこそ、これこそが道徳教育だと。私もそのように思うわけですけれども、生きる力とは、私もみずから考え、判断し、行動することだというふうに思っています。これを養うのに学校教育というものが欠かせない、学校教育の中で道徳教育を養っていくというようなことではないかなと思います。
 それと、もう一つ忘れてはならないのが道徳教育を施す先生自身がみずから生きる力を発揮して、みずからの生活一先生、教師生活ですけども、それに魅力を感じて、みずからの生活を豊かにしていこうとする、そういった態度、姿勢を子供が敏感に感じ取れるような、そういうふうな先生でいてもらわなければ多分道徳教育というのは施せないんじゃないかなというふうに思います。ですから、子供にこうしろ、ああしろと答えを決めて押しつけるということよりも、むしろ自分がまず楽しんでいただけるような先生、そういう先生に見ていただいたら、僕は多分楽しいんじゃないかなというふうにも思いますし、先生に相談したいなとも多分思うんじゃないかなと思うんです。子供の悩み、あるいは先生の悩みも子供に打ち明けてみてもいいんじゃないかなと。そうやってお互いに生きるということの難しさを考え、そういうことでお互いに教育になっていくんじゃないかなというふうに思います。
 いずれにいたしましても、子供たちがこれから生活していく上において、いろいろな状況に遭遇するわけですけれども、そういった状況に主体的に対処しながら、人間としてよりよく生きていける力をじっくりと身につけてほしい、このように願って、一般質問を終わりたいと思います。
 ありがとうございました。

前兵庫県議会議員 くりやま雅史 - 議会活動/一般質問/2006年6月26日 一般質問内容

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